お金そのものよりも、「お金の先にあるものを願うとよい」と聞いたことがあります。
お金があることで得られるのは「安心感」「豊さ」「贅沢感」「充足感」etc. なので、それを先に味わうといいと。
それはけして間違っていないと思いますし、人道的に正しいのかと思いますが、
なぜお金そのものを手に入れることを願ってはいけないのか
という疑問も同時にあります。
その疑問への回答として
紙幣はただの紙切れで、人間が勝手に価値をつけているだけだから
という理由が挙げられるとします。
そこで多くの人々が「そっかー」と納得するのかもしれません。
「豊かになりたいなら普段から(できる範囲で)豊かさを味わいなさい」というのもよく聞くかもしれません。
その際、例として「高級ホテルのカフェでお茶をする」というのがよく出されると思います。
高級ホテルのカフェのお茶には確かに高品質の茶葉が使われていると思いますが、そのお茶に価値をつけるのも、
さらには使われている茶器に価値をつけるのも、ホテルのカフェという空間に価値をつけるのも、ホテルのカフェのサービスに価値をつけるのも、
これまた人間です。
単に「豊かさ」を味わいたいんだったら、別に高級ホテルのカフェに行かずとも、値段や品質はどうでも、自分の好きなお茶を好きな茶器で好きな場所で飲めばいいんじゃないか、というのが私見です。
何がいいたいのかというと、美味しいお茶を飲みたいということと、お金という物体がほしいということは同じなのではないか、ということです。