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前回の記事の続きです。
まず、過去にも書いておりますように、物事は
意識 → 現象
という順序で起きています。
そして、想定とは真逆のことが起きるという現象は、過去の意識の中にあるものがタイムラグを経て現象化したもので、真逆のように見えているだけです。
ですから、「○○な私」という「今」の想定とは関係がないことがわかるかと思います。
また、「今」想定している「○○な私」の現象化までのプロセスの一つとして起きた、と捉えることもできます。その場合は無関係とはいえませんが、それは後になってみないとわかりませんし、あくまでもエゴの判断です。
前回の記事で使用した例でいいますと、「●●さんと結婚する私」と想定したのに、●●さんが他の人と結婚したのは、自分の過去の意識の中にあるもの、たとえば「●●さんは△△さんを好きなようだ」「●●さんは△△を選ぶだろう」「●●さんは私なんか選ばない」「特定の相手がいる願望は叶いにくい」などといった思考がタイムラグを経て現象化したものです。
だから、「●●さんと結婚する私」という今の想定と、「●●さんが他の人と結婚した」という事象には関係がないのです。
大ショックなことがあった直後にそんなことは納得できないかもしれません。「私には法則を扱えない」「私には法則が働いてくれない」「法則は嘘だ」などとやさぐれてしまうのも無理はないでしょう。
しかし、そのように思うのは、現実で起きたことにのみフォーカスし、「意識の中にあるものが現象となる」という法則を知る前の「現実に振り回されている自分」に戻っていることになります。
一方、想定と真逆の(ように見える)出来事が想定とは関係ないことに納得できれば、(現実を無視して)「●●さんと結婚する私」であり続けられるでしょう。
現実でまだしていないのに「●●さんと結婚した」と吹聴したり、●●さんを追いかけまわしたりといった相手に迷惑をかける行為はいうまでもなく良くないですが、自分の中で想定し続けることはできるはずです。
ひたすらその想定を取り消さずにいれば、いずれ●●さんが何らかの事情で独身に戻るなどして、「●●さんと結婚する私」が現象化するでしょう。
そのときになって、エゴに余裕ができれば、「●●さんが他の人と結婚したのはこうなるまでに必要なことだったんだ、プロセスの一つだったんだ」と関係性をつけることができるかもしれません。(それはしてもしなくてもいいことです。)
ただ、想定と真逆の(ように見える)出来事が起きると、その出来事にエゴはどうしても反応し、意識 → 現象という順序を忘れ、現象 → 意識という認識に戻ってしまうのは無理もないでしょう。
自分の意識を軸に生きることで人生の自由度が増すことを知ったのに、現実の事象を軸にした限定的な人生に舞い戻ってしまうのです。
私個人としてはそれは避けたいのでこのブログを書いていますが、もちろんどうするかは本人次第です。