今回の記事はいつもと趣向を変えて、個人的なことを書いてみます。
私は想定の法則の原理を知ってからずっと「最善・完璧な生活を送る私」という、ざっくりとした想定をし、そうであり続けています。
何が最善で完璧なのかを想像・想定するのにエゴには限界があるので、意識に任せきっています。
ところで、このコロナ禍で生活が良くも悪くもガラリと変わった方が多いと思います。私自身、生活スタイルそのものは変わっていないのですが、気付いたことがありました。
というのも、ようやく自分の
居場所を見つけた
実感があるのです。
私はコロナ禍が始まるずっと前から家で仕事をしていますが、過去には会社勤務でした。そのときはつねに「ここは私の居場所ではない」と感じていました。
また、私は大勢でワイワイ騒ぐよりも、一人で過ごす or 気心の知れた「少人数」で過ごすことのほうが圧倒的に好きで、そのほうが「自分」でいられます。
そんな私にとって、このコロナ禍で、ますます家にいることが多くなり、最低限の人々としか接しなくなった状況が、皮肉なことに非常に心地よいのです。
家でパートナーとペットと自分自身のために何かをしていること、自分がやりたいことと必要なことだけをしている毎日が、とても愛おしく感じます。
こんな状況下で居場所を見つけたことは、「最善・完璧な生活を送る私」の現象化の一つなのかもしれないと思っています。
私のようなインドア人間とは違い、「家にいること」「多くの人と会えないこと」が甚大なストレスになる人もいるでしょう。
このコロナ禍で予期せぬ不幸に見舞われた人が大勢いる現実はもちろんよくわかっています。多くの人々の不幸を生み出したコロナ禍は早く過ぎ去って欲しいと、当然ながら心の底から願っています。
そのうえで、私自身は「最善・完璧な生活を送る私」であり続けます。