「現実を見ても願望が叶っていない」のではなく、「自分が願望を叶えていない」
……といっても、多くの人がモヤモヤすると思います。
願望を抱いたら、自分ではない何らかの存在が叶えてくれるような気がしますが、願望を叶えるのはあくまでも自分です。
このようにいうと、「結局は自分で積極的に行動を起こさなければならないのか」と思うかもしれませんが、そういう意味ではありません。
何度も書いているように、現実は大きな意識(=自分の本体、実体)の投影です。
しかし、エゴ(自我)としての自分が見ている物理現実世界は、エゴのバイアスがかかった上でのものです。
(そもそも、「願望」というのもエゴがそう定義しているだけのものです)
言い換えれば、エゴの持つ世界観がそのまま現れているのです。
ですから、エゴが「願望は叶っていない」と思っていたら現実も叶っていないし、「叶っている」と思っていれば現実も叶っています。
つまり、叶っているかどうかは、現実がどうであるか、現象化しているかどうか、といったことは関係がないということです。
とはいうものの、
現象化していなければ叶っていると思えない
と思う人がほとんどだと思いますが、それだと「叶っている」と認めるために現象化を必須条件としているため、現象化がない限りは「叶えたくない」と思っているのと同じです。
「現象化=叶っている」と捉えていれば、「現象化していない=叶っていない」「現象化を待っている=叶っていない」ですから、
冒頭に書いたように「自分が願望を叶えていない」といえるのです。
先ほど、エゴが「叶っている」と思っていれば現実も叶っていると書きましたが、エゴがそう思う以前に、そもそも私たちはすべてを持っています。
エゴのいう「願望が叶っていない」というのは、ただのでっちあげです。
「願望はすでに叶っている」というのはあくまでもエゴ視点での表現で、真実は「すべてがすでにある」です。
ただそれを肯定し、受け入れればいいのです。
これが「自分が願望を叶える」ということです。
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