先日こちらの過去記事にコメントをいただいたので、こちらを元に記事を書いてみます。
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
この記事に、
私が「相手はすでにいる」という心境になったのは、いつ現れるかわからない相手をずっと待っていることにほとほとうんざりしたからです。
と、過去の記事から引用しました(ご興味あればその元記事もお読みになってみてください)。
これは別の言い方をすれば、「いつ叶うかわからない願望を抱き続けることに疲れた」とか「願望が叶うのを待ち続けるのに嫌気がさした」といったところです。
だから、もう叶ったことにしたのです。
エゴ視点では「無理やり叶ったことにした」感じですが、すでに願望を叶えている本来の自分に戻った、というのが正しいです。
言い換えれば、自分の本体である大きな意識の視座に立った、ということです。
この、エゴの「いつ叶うかわからない願望を抱き続けることに疲れた」という心境はある意味チャンスです。
なぜなら、エゴの嘘から決別する覚悟ができるからです。
現実を見て叶っていないと感じるのも、不足や不安を感じるのも、自分は不幸だ、不運だ、無力だなどといったレッテルも、すべてエゴの狭い限定的な視野から生まれる嘘です。
今までいろいろ、すべてやってきたけど、まったく願望が叶わないと悩む方の声をたくさん聞いてきましたが、エゴの嘘から決別しない限りはずっとそのループです。
ただ、エゴの嘘と決別宣言をした後も、エゴは「何もしなければこのままだ」「何も変わりはしない」「すでに叶っているとかいうけど現象化していないよね」などと言ってくるでしょう。
正しいことを言っているように聞こえますが、それらもまたすべてエゴの嘘です。
「エゴがまた嘘をついているな」と、自分の本体である大きな意識の立場で客観視していてください。
この「客観視する」主語は何かといえばやはりエゴなのですが、エゴ自身を客観することで大きな意識の視座に立てます。
簡単にいえば、「エゴにのまれない」ということです。
あまり「必要だ」といった表現はしたくないのですが、エゴのしつこい嘘にはそのくらい毅然とした態度が必要かもしれません。
そうしているうちにエゴはおとなしくなり、いちいち嘘をつかなくなり、すでにすべてを叶えている本来の自分と同化します。本来の自分に戻る、ともいえます。
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