「すでにある」というフレーズは、願望実現系メディアをよくご覧になっている方にはお馴染みだと思います。
発信者によって解釈は異なりますが、当ブログの解釈は
自分の本体である「大きな意識」はすでに望むもののすべてを持ち、すべてを叶えている
というものです。
「願望」としてエゴ上に浮かんでくるのは自分の本体がそれをすでに持っている・叶っているからです。
なので、それをエゴで想定・意図・選択(言葉は何でも良いです)すれば、エゴが物理現実上で知覚します。
たとえば、「幸せになりたい」という願望が浮かんでくるのは、「自分は幸せ」という事実があるから、別の言い方をすれば「幸せな私」が存在しているからです。
だから、「私は幸せだ」「幸せな私」と想定・意図・選択すればいいということです。「気づく」でもいいし、「思い出す」でもいいです。動詞は何でもいいです。
では願望によってはなぜエゴがすぐに知覚できないのかというと、物理現実上には時間の概念があるからです。
たとえば「理想の家を建てた私」と意図しても、エゴにそれを1日そこらで知覚するのはまず不可能でしょう(「理想の家を手に入れた私」ならあり得るかもしれませんが)。
いずれにしても、どのような願望であっても、エゴが納得できるかたちで、整合性がとれてくるように知覚します。
このいわゆるタイムラグの間に、「現実を見ても、どう見ても叶っていない」からと多くの人々が想定・意図・選択を取り消してしまいます。
なので知覚できません。
エゴが「叶っていない」と想定・意図・選択すれば、当然「叶っていない」を知覚し続けます。
「すでにある」のは大きな意識の中であって、現実にその証拠はありません。
現実はあくまでも大きな意識にあるもののエゴを通した投影です。
「自分はすでに欲しいものを持っていて、なりたい自分になっている」ことをエゴが腹落ちすれば、エゴは現実を見て「叶っていない」と判断しなくなります。
なので、然るべきときに「叶っている」が知覚できるのです。
ここで「どうしたら腹落ちできるのか」と疑問を持つ人もいるかと思いますが、
自分の本体である「大きな意識」はすでにすべてを持ち、すべてを叶えている
これを文字通りに捉えればいいです。
これが真実であり、現実はただの投影であることを知っていればいいのです。
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