何度か書いていると思いますが、願望実現とは平たくいうと、
ある・叶っている(を選んでいる)からある・叶っている、ない・叶っていない(を選んでいる)からない
だけのことなのです。
「願望=実現」は法則なのですが、実はただ対象が「すでにある」だけで、それは法則以前に、前提・真理です。
そもそも「願望」が生まれるのは、無意識的に・当然のように「私は持っていない」を選んでいるからです。
「私は(持っていないから)欲しい」「私は(そうではないから)そうなりたい」ということです。
そしてその願望が叶わないのは、「欲しい=目の前にない=叶っていない」を選び続け、それを知覚し続けているからです。
前提・真理として「すでにある」のだから、「私は持っている」を選べばいいだけなのです。
しかし、なぜ「すでにある」が前提・真理なのかを説明するために「大きな意識」と「エゴ」の存在や関係性を説明したり、
「すでにある」が前提・真理であるにもかかわらず、それを信じられず「ない」を選び続けるエゴの性質を説明したり、「ない」を選び続けないための対処法を提案したりしなければならないので、
実際にはごくごくシンプルな法則が複雑なものに聞こえてしまい、「願望実現方法」として特別な秘技のように思われてしまうのです。
では、実際にどれだけシンプルなのか。
私はネヴィル・ゴダード氏の「想定の法則」も、「すでにある」の前提・真理も知らないときに(「引き寄せの法則」については多くの文献を読んでいたので知っていました)、あるとき突然「もうパートナーがいることにしよう」としました。
つまり「私は持っていない」から「私は持っている」を選び直したので、「私は持っている」を知覚したということです。
それ以前の私は、パートナーがほしいけれども自分には魅力がないし出会いのチャンスもないと思い、ひとりは寂しい、一生ひとりぼっちは嫌だ、などと思っていました。
エゴが勝手に自分は一人だと思い込んで、パートナーを渇望し、寂しがって不安になっていたのです。そしてそれを現実として知覚していただけです。
しかし、あるとき私はパートナーが欲しいと願っているだけの状態、いつ現れるかわからない相手を待つことにうんざりしたので、現状に関係なく「もうパートナーがいることにしよう」としたのです。
これも別の言い方をすれば、エゴが勝手に自分にはパートナーがいると思い込んで、安心し満たされたということになります。だから、それを現実として知覚することになったのです。
自分にはパートナーがいないと思い込んでいたときは、現状、過去の記憶、未来の想像、自己否定感などを基準にしてそう思い込んでいました。
それに対し、自分にはパートナーがいるという思い込みにはそのような外的な基準はいっさいありませんでした。
「すでにある」の前提・真理に従っただけだったのだと、それだけシンプルなことだったのだと、後になって気づいたのでした。
「私は持っていない」「私は持っている」、どちらも自由に選べます。
選んだほうを知覚する、それだけのことなのです。
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