今回は、当ブログに書いている「基本の部分」と「踏み込んだ部分」を一つの記事にまとめて書きます。
たとえば「お金持ちになりたい」という願望を抱いたとします。
「お金持ちになりたい」ということは、今自分は「お金持ちではない」と思っているからです。
なぜ「お金持ちではない」と思うのかというと、たとえば「収入が少なくて貯金ができないから」といったように、現状を見てそう判断しているからです。
実は、逆なのです。
自分で「私はお金持ちではない」と選択・意図しているから、「収入が少なくて貯金ができない」という現実を見ているのです。
それに気づかないうちは、現状から「お金持ちではない」と思いつつ「お金持ちになりたい」と願っている状態が延々と続きます。
そのループを断ち切るには、「私はお金持ち」と選択・意図すればいいのです。
そうすれば、自分はお金持ちだと思える現実を見ることになります。
ただ、「私はお金持ち」と選択・意図した瞬間にその現実が見えるわけではなく、選択・意図と現実との整合性がだんだんとれてくるかたちで見えてきます。
ここまでが、当ブログで書いていることの基本的な流れです。
しかし、ここまでの流れは把握していても、選択・意図と現実の整合性がとれていないうちに「私はお金持ちではない」を選択・意図し直してしまう場合が多いので、多くの人々が悩んでいます。
整合性を見出そうとする必要などなく、ただ自然の流れに任せていればいいのですが、それが難しいという人のために、もう少し踏み込んだ説明が必要になってきます。
そもそも自分の本体である「大きな意識」には時間の概念がなく、すべてを叶えているので、「お金持ちではない私」「お金持ちの私」も同時に叶えています。
「大きな意識」が叶えているものを物理現実上で体験・観測するのは、自分の一部である「エゴ」であり、何を体験・観測するかはエゴの選択・意図次第です。
エゴはつねに、膨大な数の選択・意図を自覚的・無自覚的に行なっています。そのため、日々現実ではさまざまなことが起きているように見えます。
ついでにいうと、極端なところでは「一文無しの私」「桁違いの大富豪の私」など、エゴが思いつくものはすべて叶えています。
ただ、大多数の人々のエゴは「一文無し」にはなりたくないでしょうし、「桁違いの大富豪」もなかなか躊躇するでしょう。
大多数の人々のエゴにとって選択・意図しやすいのが「お金持ちではない私」「お金持ちの私」、せいぜい「大金持ちの私」の範囲かもしれません。
なので最初から、エゴが自身の選択・意図を覆さずに自然の流れに任せられる程度の、エゴがしっくりくる選択・意図をすればいいのです。
「お金持ちではない私」から一気に「お金持ちの私」と選択・意図するのが難しければ、たとえば「収入が増えた私」といったように、抵抗感が少ないところから始めてみるのもいいでしょう。
もちろんしっくりくるのであれば「桁違いの大富豪の私」でもいいです。それはすでに叶っているので、自由に選んでいいのです。
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