まず当ブログで書いていることの根幹から書きます。
自分の本体である「大きな意識」はすべてを所有し、すべてを可能にしている存在です。
大きな意識には時間の概念がないので、すべてを同時に実現しています。
大きな意識が叶えているものを物理現実として体験・観測するのは、自分の一部である「エゴ」であり、叶えているものの中から何を体験・観測するかはエゴの選択・意図次第です。
エゴの選択・意図は自覚的になされるとは限らず、無自覚的に行なっている(のがほとんどな)ので、「こんなことは望んでいない」「こんなはずではなかった」と思うようなことも体験・観測します。
無自覚的な選択・意図は、文字通りエゴが「いつの間にか」「図らずに」行なっているものなので、完全に防ぐことはできないかもしれませんが、少なくすることはできるでしょう。
エゴにとって望ましくないこと、好ましくないことは自覚的に選択・意図しなければいいのです。
たとえ望ましくないことを体験・観測しても、もともと望んでないのですから放っておけばいいです。
また、状況によって解決や改善が必要な場合は「問題が解決した」「状況が改善された」と選択・意図すればいいです。
とはいうものの、大抵のエゴは、問題が起きるとどうしたらいいのかわからず混乱するでしょう。
どうしたらいいのかわからないときこそ、大きな意識に丸投げするといいです。
なぜなら、大きな意識は「すべて」をすでに叶えているからです。
つまり、すでに問題を解決させているからということで、別の言い方をすれば、そもそも「問題はない」からです。
問題を問題(良くないこと・望ましくないこと)と定義しているのはエゴで、そもそも大きな意識が所有し、叶えているものの「すべて」はニュートラルです。
つまり、「すべて」の一つ一つに、良い・悪い、好都合・不都合、価値がある・無価値、望ましい・望ましくない、好き・嫌いなどといった判断をエゴが下しているだけ、ということです。
なので、エゴがその判断を放棄して大きな意識に丸投げすれば、やがて「問題がない」状態を観測・経験することになります。
また、以下の状況も、「最高・最良・最善」などとざっくり選択・意図して、あとは大きな意識に丸投げするといい例です。
- 自分が何を望んでいるのか具体的にわからないとき
- 現状を変えたいけど何をしたらいいかわからないとき
- 願望を叶えたいけどどうしたらいいか見当がつかないとき
ただ、丸投げしたら何も変わらないのではないか、かえって悪化するのではないか、とエゴが不安になるかもしれません。
それはエゴは「自分で何とかしないとダメだ」と思うからですが、そう思うのも、自分の本体である大きな意識を信頼していないからです。
そもそも大きな意識は自分の一部分であるエゴをわざわざ不幸にしません。
私は不幸だ、不運だ、不十分だ、不足している、などと思うのであれば、エゴがみずから(自覚的・無自覚的)にそう判断し、それを選択・意図しているからです。
先述の通り、大きな意識が所有し、可能にしている「すべて」はニュートラルです。
ですから、エゴが望ましいことを体験・観測したければ、自覚的に望ましいものを選択・意図するか、何が望ましいのかわからなければ、その選択すらも大きな意識に任せればいいのです。
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