前回と同様に、まず当ブログで書いていることの根幹から書きます。
自分の本体である大きな意識は、すべてを所有し、すべてを可能にしている存在です。
それに対しエゴは自分の一部にすぎませんが、思考・感情・五感の機能を持ち、肉体もエゴの領域であるため、大抵の人のエゴがエゴ自身を「自分」だと思っています。
しかし、真の「自分」とは大きな意識であり、物質ではない、いわば意識体のようなものです。それ自体に思考・感情はありません。
また、大きな意識の中にあるものの投影を、物理現実世界として(五感で)体験・観測するのもエゴです。
大きな意識(の投影)の中から何を体験・観測するかはエゴの選択・意図次第です。
つまり、物理現実世界とは、大きな意識のエゴのバイアスを通した投影ともいえます。
さて、以下のようなご質問をよくいただきます。
- 結局エゴに決定権、主導権があるのか?
- エゴが決めたことが現象化するのか?
- エゴに翻弄されて生きるしかないのか?
- 大きな意識はエゴの言いなりなのか?
これらはすべて、エゴがエゴを「自分」だとみなしているために生まれる疑問であり、真理は真逆です。
一つ一つ回答していきます。
1. 結局エゴに決定権、主導権があるのか?
エゴがエゴを「自分」だと思っている上に、先述の「大きな意識(の投影)の中から何を体験・観測するかはエゴの選択・意図次第」という表現から、このような疑問が生まれるのだと推測します。
まず、決定権といいますか、主導権の所在はどこかといえば、大きな意識です。
エゴに選択権はありますが、エゴに無限の、無数の選択肢を与えているのが大きな意識です。
エゴは与えられているものの中から自由に、好きなように選択ができるというだけです。
2. エゴが決めたことが現象化するのか?
先述のように、物理現実世界は大きな意識にあるものの投影です。
別の言い方をすれば、エゴの目の前に広がる世界は大きな意識の現象化です。
物理現実上で願望が叶うことだけが現象化ではないのです。
エゴが決めたことが現象化されるのではなく、現象化されているものの中からエゴが選んだものをエゴが体験・観測しているのです。
3. エゴに翻弄されて生きるしかないのか?
エゴが嫌なこと、悪いことだと感じる事象・現象は、大抵エゴが無自覚的に選んで体験・観測しています。
そのため、エゴはエゴに翻弄されて生きていると感じますが、実際にはエゴがみずから、嫌なこと、悪いことを能動的に選んでいるのです。
逆に、予想に反して良いことが起きる場合も、エゴの無自覚的選択によるものです。
無自覚的選択は文字通りエゴの「無自覚」なので、嫌なこと、悪いことの無自覚的選択を完全に防ぐことはできないかもしれませんが、望ましいことを意図的に選択する習慣をつければだいぶ防げるでしょう。
4. 大きな意識はエゴの言いなりなのか?
1.の回答と重複しますが、大きな意識はエゴに無限の、無数の選択肢を与えています。
大きな意識はエゴのいいなりどころか、エゴに体験・観測したいものを自由に選ばせているのです。
エゴが「自分」なのではなく、「自分」とは大きな意識であり、すべてをすでに可能にしているのだとエゴがわかっていれば、選択すら必要ありません。
お時間があれば、前回の記事もあわせてお読みいただけると嬉しいです。
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
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