当ブログにずっと書き続けていることを、できるだけシンプルに、噛み砕いて表現してみます。
りんごが目の前にないのに、「りんごがある」と思い込もうとする
りんごが目の前になくても、「りんごがある」とする
この違いがわかりますでしょうか。
前者は現実としてりんごが「ない」ことにフォーカスしつつ、りんごが「ある」と自分に言い聞かせているだけで、結局は「りんごがない」を選択しています。
なので、「りんごがない」状況を見続けます。
願望が叶わないと悩む方々のほとんどがこの状態です。
一方、後者は現実としてりんごが「ない」ことに関係なく「りんごがある」を選択しています。
「りんごがある」を事実にしている、「りんごがある」と認めている、などといってもいいでしょう。
なので、「りんごがある」状況を見ることになります。
私たちは物理現象として目の前にないから「ない」と判断しますが、そもそも「りんご」が頭に浮かんだ時点でそれは「ある」のです。なければ思い浮かびすらしません。
しかし、目の前にないから「ない」、目の前にあらわれるまで「ある」と認めない、といった姿勢だと、ずっと「ない」を見続けます。
「ある」のだからそのうち「ある」を見るだろう、という姿勢は良いですが、「(今は目の前に)ない」ことにフォーカスしないよう気を付ける必要があります。
「どこにあるんだろう?」と現実の中から探し始めると、「(今は目の前に)ない」を強化してしまう可能性があるので、注意が必要です。
結局のところ、
「ある(のだからそれでいい)」
というマインドがベストだと個人的には思います。
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