あなたは欲しいものをすでに持っている
あなたはすでになりたいものなっている
いずれにしても、あなたの願望はすでに実現しているということで、これが真理だと(ブログタイトルにもありますように)当ブログでは書き続けています。
この真理を元にすると、願望がエゴ上に浮上した時点でそれは叶っているので、叶えるためにすることはない、ということになります。
ただ、エゴはそこまでは理論として理解しても、物理現象として「叶っている」が観測できないうちは「叶っている」と認められません。
そのため、エゴはずっと「叶っていない(が叶っている)」を観測し続けることになります。
前回の記事に、
「ある」のだからそのうち「ある」を見るだろう、という姿勢は良いですが、「(今は目の前に)ない」ことにフォーカスしないよう気を付ける必要があります。
と書きました。
別の言い方をすれば、「願望はすでに叶っているのだから、そのうちエゴは物理現実上でそれを観測できるだろう」という姿勢です。
ここでいうエゴによる物理現実上の観測とはいわゆる現象化ですが、それを待ち侘びているとどうしても「叶っていない」が前提になってしまいます。
先述の、物理現象として「叶っている」が観測できないうちは「叶っている」と認められない状態です。
ではどうすればいいのかというと、
今のこの自分を「叶えている私」とし、今エゴに見えているこの物理現実を「叶っている世界」として、物事が起きるままに、自然の流れに任せる
これに尽きるでしょう。
しかしエゴは今度は
「叶えている私」はこう思考・行動しなければいけない、こう振る舞わなくてはいけない、こう感じなければならない
「叶っている世界」ならこうでなければならない、こういうことが起きなくてはならない
などと、整合性を求め始めます。
だからいつまで経っても「叶っている」を認められず、苦しいのです。
整合性など必要ないのです。
ただひたすらに
今のこの自分を「叶えている私」とし、今エゴに見えているこの物理現実を「叶っている世界」として、
思い切って物事が起きるままに、自然の流れに任せてみてください。
そうすれば、「叶っている」がエゴにも観測できます。
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