すべての願望はすでに実現しています

願望実現方法について書いています

他者も含めてこの世の事象のすべてが自分

 

今回もこのブログに書いていることの基本・根幹から始めます。

 

(ちなみに今回の記事の冒頭はこちら↓の記事の冒頭と同じです。重要なので繰り返します)

 

allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com

 

私たちが自分自身を「私」と認識しているのは「エゴ」であり、このエゴは物理現実世界(三次元+時間)を観測・体験するための「機能」にすぎません。

 

つまりエゴは「自分」ではないということです。エゴはあくまでも自分の一部です。

 

一部があるということは全体があるということで、それを当ブログでは「大きな意識」と呼んでいます。

 

この大きな意識が自分の本体・実体・正体であり、真の姿であり、すべてを可能にしている完全無欠の存在です。

 

その大きな意識が可能にしているものの投影が物理現実世界です。

 

なので、自分=世界という等式が成立するのです。

 

 

これを踏まえて、エゴ機能をオフにしたと仮定したらどうなるかというと、ここには大きな意識が存在するだけです。

 

「私」を認識する主体がなくなり、「私」が観測・体験する対象である物理現実世界もなくなります。

 

大きな意識はすべてを所有しすべてを可能にしているといえど、エゴが機能しなければ「無」も同然です。

 

しかしエゴ機能をオンにした途端に、「私」と物理現実世界が現れます。

 

つまり、エゴによって大きな意識が「私」と物理現実世界に切り離されるともいえます。

 

本当は 自分=世界 なのに、

 

自分|世界 

 

といったように、自分と自分以外に分離させられてしまうのです。

 

しかもエゴが独自に持つ思考・思想・価値観・信念・記憶・知識などがフィルターとなり、そのフィルターを通したものしかエゴは物理現実世界上で観測・体験できません。

 

そのため、自分=世界と言われてもエゴには全然ピンときません。

 

そもそも自分=世界とは、

 

他者も含めてこの世の事象のすべてが自分(が創造したもの)ということです。

 

だから、「私」の欲しいものはすでにあるし、「私」はなりたいものにすでになっているといえるのです。

 

しかしエゴは、特に嫌悪・軽蔑・憎悪の対象、不都合な事象、倫理に背くような事象などは自分(が創造したもの)だとは絶対に認めたくないでしょう。

 

それはエゴの性質上仕方がないのですが、そこを思い切って受け入れることができると、「すでにある・叶っている」の感覚がわかります。

 

そして、願望はもはや願望ではなくなり、エゴが物理現実世界上で観測・体験したいものをただ選べばいい・意図すればいいだけなのもわかります。

 

 

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