前回の記事、
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
に、以下のように書きました。
エゴ機能をオンにした途端に、「私」と物理現実世界が現れます。
つまり、エゴによって大きな意識が「私」と物理現実世界に切り離されるともいえます。
本当は 自分=世界 なのに、
自分|世界
といったように、自分と自分以外に分離させられてしまうのです。
エゴによって大きな意識が「私」と物理現実世界に切り離される
という部分は、別の言い方をすると、
「私」と「私以外」に切り離される
ともいえます。
世界が丸ごと自分自身なのに、エゴが世界を「私」と「私以外」に切り離してしまうので、他者が他者に見えるし、他者のものが他者のものに見え、他者に起きたことが他者に起きたように見えるのです。
前回の記事にこのようにも書きました。
そもそも自分=世界とは、
他者も含めてこの世の事象のすべてが自分(が創造したもの)ということです。
だから、「私」の欲しいものはすでにあるし、「私」はなりたいものにすでになっているといえるのです。
しかしエゴは、事象の一つ一つを「私(のもの、に起きたこと)」と「私以外(のもの、に起きたこと)」にいちいち分けているのです。
ですから、好ましい人や理想としている人は「私」でもあるし、他者のものは「私」のものでもあるし、周りに起きた良いことは「私」に起きたことでもあるのです。
ただ、前回の記事に
エゴは、特に嫌悪・軽蔑・憎悪の対象、不都合な事象、倫理に背くような事象などは自分(が創造したもの)だとは絶対に認めたくないでしょう。
と書いたように、エゴがそういったネガティブなものを「私以外(のもの、に起きたこと)」と考えたいのは当然でしょう。
ですから、それはそれでいいのです。前回は、
そこを思い切って受け入れることができると、「すでにある・叶っている」の感覚がわかります。
と書きましたが、思い切って受け入れられなければそれでいいです。
大嫌いな人を「あの人は私だ」と無理に受け入れなくて全然いいですし、周りに起きた良くないことを「自分に起きたこと」と無理に捉えなくても全然いいですが、
好ましい人・理想の人を「あの人は私なのだ」と捉えたり、周りに起きた良いことを「これも私に起きたことなのだ」と捉えたり、といったことはしてみてもいいかもしれません。
そうしているうちに、「すでにある・叶っている」の感覚がつかめてきて、渇望感・不足感・欠乏感などといったものが消えているのに気づき、やがては見えるものが変わっていきます。
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