すべての願望はすでに実現しています

願望実現方法について書いています

現実に関係なく「叶っている」に従う・現実を見て「叶っている」と判断する

 

「願望はすでに叶っている」のが大前提の真理なのに、なぜ「叶っていない」と判断してしまうのかというと、ほとんどの場合「現実」を判断基準にしているからです。

 

◯◯が手元にないから・目の前にないから叶っていない、今の自分はどう見ても◯◯ではないから叶っていない、といったように。

 

 

そもそも「願望」とはエゴ視点の言葉であって、自分の本体・実体である大きな意識には最初からすべてがあるので、「願望が叶っている」というよりは、正確にはただ「ある」だけです。

 

また、そもそもエゴは「すべてを叶えている自分(=大きな意識)」の一部で、つまりエゴもすべてをすでに叶えているということですから、わざわざ現実を基準に「叶っていない」と判断する必要はないのです。

 

それでもどうしてもエゴが現実に目を向けたいのであれば、視界に入る好ましいものは全部自分のもの、好ましい人は自分だと思うのもいいかもしれません。

 

現実は大きな意識の投影ですから、エゴにとって好ましくないものも自分のもの、好ましくない人も自分だといえますが、そこは都合よく無視しましょう。

 

でも、それもイメージングやアファメーションと同じで、楽しめなければやらなくていいです。また、義務的に行うことでもありません。

 

もっとも、現実というのもただの映像のようなもので、あやふやなものなので、わざわざ他人の所有物を自分のものと見る必要もないし、わざわざ他人を自分だと思う必要もなく、自分は自分の◯◯を持っている、自分は◯◯、としていればいいのです。

 

結局それは大前提に立ち返ることになります。

 

 

エゴが「叶っていない」と判断しようとも「叶っている」と判断しようとも、自分の本体は願望をすでに叶えているという大前提は歴然と存在しています。

 

エゴがその大前提から目を背け、現実だけを見て「叶っていない」と判断すれば、その後ずっと現実は「叶っていない」ままです。

 

大前提である「叶っている」から目を背けたら「叶っている」が見えないのは当然です。

 

対象から目を背けたままその対象を見ようとしてもできませんよね。

 

だからその逆を行えばいいだけで、現実に関係なく「叶っている」大前提に従えばいいですし、

 

現実を無視できないなら現実を見て「叶っている」と判断すればいいのです。

 

 

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エゴの思考・感情には願望を実現させる力がないことを知る

 

前回の記事、

 

allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com

 

に、以下のように書きました。

 

大きな意識はすべてが叶っている完璧な存在(すべてがある完璧な領域)ですから、その投影である現実世界でも、100%叶っています。

 

つまり、

 

「叶っている」のが前提・真実なのは大きな意識においてだけではなく、現実世界においても同様

 

だということです。

 

ただ、正確にいえば現実世界とはエゴを通した意識の投影です。エゴがなければ現実世界を知覚できないし、体験できません。

 

エゴのバイアスがかかった上での現実世界だということです。

 

ざっくりいうと、自分が知識として持っているものが現れている世界、といった感じでしょうか。

 

「現実は認識」という言説を聞いたことがある人が多いかもしれませんが、それはこういう意味だと解釈しています。

 

 

願望を願望と定義するのも、それを叶った・叶っていないと判断するのも、いうなればエゴのバイアスです。

 

エゴを通さなければ、自分にとっての「すべてがすでにある」だけです。願望という定義もなくなりますから「叶っている」というのも変な表現になります。

 

そうすると「エゴなんてなければいい」と思うかもしれませんが、エゴを消すことはできません。

 

エゴがあるから「自分」の存在を自覚できるのですし、先述のように、そもそもエゴがなければ現実世界を知覚・体験できません。

 

つまりエゴがなければ「ある」を知覚できないということで、「無」になってしまいます。

 

だから、どうせエゴは消せないのですから、願望を実現させるためには現状に関係なく

 

エゴで「願望は叶っている」と判断する

 

エゴで「願望は叶っていない」と判断するのを止める

 

どちらかであればいいと書き続けていますが、どちらもできない人が多いようです。

 

なぜなら、エゴが事象に対してエンドレスに反応し続けるからです。

 

『現実がそう見えないのに「叶っている」と判断するのは難しい』

 

『実際に叶っていないのに「叶っていない」と判断しないのは難しい』

 

『願望と正反対のことばかり起きているのに「叶っている」わけがない』

 

『「叶っている」と判断できているのかどうかわからない』とかなんとか考え、

 

モヤモヤしたり苦しくなったり怒りが湧いたりします。

 

結局、エゴのそういった思考・感情はただのエゴの思い過ごし・思い込みであって、

 

エゴがそうやって苦悩している間にも自分は「すべてがすでにある」中に生きています。

 

「すべてがすでにある」をなんだかんだで拒否しているのはエゴです。

 

なので、

 

エゴの思考・感情は事象に対する反応として自動的に流れてくるものでそれ自体に力はないことを知る

 

ことが、荒ぶるエゴを鎮めるにはベストかと思います。

 

エゴで騒ぐのは無駄だとエゴ自身がわかって落ち着き、気が楽になります。わざわざ「叶っていない」と判断することもなくなるでしょう。

 

 

ちなみに、この記事内容は私のエゴが解釈したことをエゴが言語化したものです。

 

これをお読みになって「そういうことか」「よくわからない」「根拠は?」「それで願望が現象化するの?」などなど、さまざまな感想を持つでしょうが、それもまた読者様のエゴの思考です。

 

そのように、エゴはどこまでも「自分」として思考や感情をめぐらせます。

 

繰り返しますが、それは自動的に流れてくるもので、それ自体に力はありません。

 

余談ですが、イメージング、アファメーション、いい気分になるのもエゴが行なっていることで、それ自体に願望を叶える力はありません。

 

イメージング、アファメーション、いい気分を行うことで、自分に「叶えていい」と許可を与えているのです。

 

その許可を与える行為もエゴが行なっていることです。

 

そういったメソッド類は、それを行うことでエゴが一歩ずつ「すべてがすでにある」という真理に近づいていくツールだといえるでしょう。

 

 

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