すべての願望はすでに実現しています

願望実現方法について書いています

エゴのフィルターを外して「自分はすでに何でも叶えている」という真実を見る

 

前回の記事にこう書きました。

 

「自分」である意識は完璧で、何でも持っているし、何でも叶えています。それが前提です。

 

その完璧な意識こそが「自分」だとそのまま受け入れれば、エゴが現象化を気にしなくなるどころか「我こそが自分だ」などと変な勘違いをする余地はなくなります。

 

なぜ自分は何でも持っていて何でも叶えているのに、それが前提なのに、そのように見えないのかというと、エゴがフィルターをかけているというか、カバーで覆っているというか、とにかく「自分はすでに何でも持っていて何でも叶えている」という真実を見ようとしないからです。

 

なぜ見ようとしないのかというと、現実で起きていること、長年の思い込み、過去の記憶、社会通念などを真実だと思っているからです。

 

ではそのフィルターなりカバーなりを外すにはどうすればいいのかというと、ただ「外そう」と意図すればいいだけです。

 

エゴのフィルターなりカバーなりを外す=(上述の)「意識」こそが自分だと受け入れる

 

といえるでしょう。

 

エゴのフィルターなりカバーを外せば、安心感や安堵感を(エゴでも)感じることができます。なぜなら、すべてを持っていて叶えているからです。

 

ただ、安心感や安堵感が「叶っている現実」を創るのではなく、これらの感覚はあくまでも意識に委ねられているかどうか、意識を信頼できているかどうかの指標です。

 

「叶っている」から安心感や安堵感があるのであって、「叶っている」から「(安心・安堵できる)叶っている現実」が創られていくのです。

 

なので、厳密には安心感や安堵感は理想通りの現実を創っていくために必須というわけではありませんが、あるに越したことはない良い感覚です。

 

意識が自分であり、エゴが自分なのではない

 

前回の記事に、「現象化」へのこだわりが、「◯◯な私」であり続けることを阻む最大の障害といった旨を書きました。

 

そしてこう続けました。

 

どうしたらこだわりをなくせるのかというと、エゴの声を聞いて認めるのがいいと個人的に思います。

 

エゴが「現象化していないなあ」と思ったら、「ハイハイ、そうね」と同意して聞き流すだけでもいいですし、前回の記事に書いた意識の言葉を代弁する形で「そうだね。でも、叶っていないように見えるのはただの勘違いだよ」などといってあげてもいいでしょう。

 

これはこれで効果があると思っているので書きましたが、あくまでもエゴへの対処です。

 

ここのところずっと考えていたのですが、現象化へのこだわりを根本からなくすには、これだけでは足りないとやはり思いました。

 

なぜ「やはり」なのかというと、前述のように、あくまでもエゴへの対処であることをわかっている上で書いたからです。

 

なぜそのような書き方をしているのかというと、エゴ視点で書かないと読者様には理解しづらいだろう、という推測の上です。

 

しかし、エゴによるエゴ上の対処は、一時的にエゴをおとなしくさせることしかできません。エゴは一瞬おとなしくなっても、時間が経つとやはり暴れ出します。

 

では、現象化へのこだわりを根本からなくすには、というか、そもそもの大前提として、

 

意識が自分であり、エゴが自分なのではない

 

と知ることが非常に重要です。

 

世の中のほとんどの人は、物事を知覚し、経験し、出来事に反応し、思考し、未来や起きてないことの想像をするエゴを「自分」だと思っていますが、実際に「自分」とは実体のない意識です。

 

ではこのエゴは何なのかといえば、あくまでも意識の投影としての物理現実世界を経験するためのコマのようなものです。文献によっては、映画・ドラマやRPGなどのキャラクターと喩えられることもよくあります。

 

「自分」である意識は完璧で、何でも持っているし、何でも叶えています。それが前提です。

 

その完璧な意識こそが「自分」だとそのまま受け入れれば、エゴが現象化を気にしなくなるどころか「我こそが自分だ」などと変な勘違いをする余地はなくなります。

 

そうすれば、「ある」「叶っている」完璧な世界が展開されていき、エゴもそれを体験することができます。