願望が「願望」として生まれるのは、意識の中にすでに「ある」から
といった言説を見聞きしたことがある方も多いと思います。これは
あなたのほしいものはすでにある
あなたはすでになりたいものになっている
この真理・前提と同じ意味だと解釈しています。
そもそも「ない」のであれば願望としてエゴ上に浮かび上がってきません。
願望として浮かび上がってきたものはすでに「ある」「叶っている」のですから、想定・意図・選択(言葉はなんでもいいです)すればいいだけなのです。しかも自由に選び放題です。
ほしい(なりたい) → 手に入れよう(なろう) → 手に入れた(なった)
これだけでいいのです。
現象は意識の投影なので、意識の「手に入れた」が現象としてエゴにも見えてきます。
ただ、「手に入れた」瞬間、エゴにはそれが物理的に見えるわけではありません。
そのまま「手に入っていない」と判断し続けていると、エゴは「手に入っていない」を見続けます。
願望が叶わなくて苦しいのは、実際は「ある」のにエゴが「ない」と思い続けて苦しんでいるだけです。
このからくりといいますか、原理がわかると、エゴも「ない」「叶っていない」と思えなくなります。
当然、エゴの不安や焦りといった感情も消えていきます。現実はそれはそれとし、現象化も気にならなくなります(起きるのが分かっているので)。
それにはやはり、意識の「ある」「叶っている」を信頼することが最重要です。
そこでエゴが「その真理の確証が欲しい」「意識を信頼していい根拠が欲しい」などと言い出すと、永遠にループします。「確証を得なければ・根拠がなければ叶わない」と言っているようなものです。
なので、どうしても「無条件に信頼してください」という言い方になってしまいます。