こちらの過去記事に、
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
その「現実の受け入れ」が「叶っている」の認定でもあるのです。「受け入れない」ことは、「叶っていない」の認定ともいえます。
と書きました。
現実を「自分が創ったもの」と認めることは、願望を実現させるうえで非常に大切だからです。
受け入れるといっても「尊重する」「重要視する」という意味ではありません。ただ、文字通り「(そうであると)受け入れる」です。
なぜ大切なのか。これまで何度も書いておりますように、現実は自分の意識の中にあるものの投影で、それを「知るため」です。
現実は自分とは別の存在が創ったものではないのです。つまり、現実はいくらでも自由に創造できるということを理解するためです。
なので、それを受け入れないことは、自分では望む現実を創造できないといっていることにもなります。
「叶っていない」の認定どころか「叶えられない」「叶えない」と宣言するようなものです。
ただ、「現実を受け入れる」と字面だけ見ると、巷でよく言われている「現実を無視」「現実をスルー」の真逆ではないか、と思う人もいるでしょう。
「現実を無視」「現実をスルー」は、おおむね
- 現実を見て願望を制限・否定しない
- 現実を「叶っていない」判断材料にしない
この二つの意味だと個人的に解釈しています。
(これは単に言葉の解釈になりますが:そもそも「無視」の対義語は「尊重」なので、「受け入れる(受容)」は真逆ではないです)
現実は自分で創ったといったん認め、また、同時にそれはただの過去の意識の投影であり、あくまでも創造し終わったことなので変えようがないことを知ったうえで、(創造済みの)現実の重要度を下げればいいのです。
見えている現実は「叶っている私」のものであり、同時に過去の意識の投影でもあります。そこに重要性、意味、関連性などを勝手に見出しているのはエゴです。
エゴ的に不都合なことが起きても、エゴはそれにどう反応してもいいですが、同時に「これは自分で創ったんだな」とニュートラルに受け入れればいいです。それで終わりです。
また、ただの投影ですから、幻想、虚像、錯覚、幻影、残像 etc. などとしてもいいのです。それはもはや各人の好みです。いずれにしても、
尊重すべきは、意識の真実です。
それに重要性を見出し、フォーカスしていれば、やがてエゴにも現実として視覚的に見えてきます。