このブログに書いていることの基本・根幹を改めて書きます。
私たちが自分自身を「私」と認識しているのは「エゴ」であり、このエゴは物理現実世界(三次元+時間)を観測・体験するための「機能」にすぎません。
つまりエゴは「自分」ではないということです。エゴはあくまでも自分の一部です。
一部があるということは全体があるということで、それを当ブログでは「大きな意識」と呼んでいます。
この大きな意識が自分の本体・実体・正体であり、真の姿であり、すべてを可能にしている完全無欠の存在です。
その大きな意識が可能にしているものの投影が物理現実世界です。
なので、自分=世界という等式が成立するのです。
ただ、エゴには投影の100%が観測・体験できるわけではありません。
なぜならエゴ自身がフィルターになっているからです。
そのフィルターを形成しているのが、エゴ自身が保持している思い込み・観念・信念・価値観・常識(と思っているもの)・記憶などといったものです。
ですから、エゴはそれらを通した物理現実世界を観測・体験しているということです。
ただ、エゴは「自分」ではないという部分がよく誤解されています。その誤解とは、
エゴが考えていることや感じていることは本当の自分(のもの)ではないから無視するべき
というものですが、そういう意味ではありません。
エゴが生成する思考・感情は、何らかの対象への自動的・反射的な反応であり、それらが生まれるのはエゴという機能が正常に働いている証拠です。
その機能を止めることはできませんし、エゴ自身が無視する必要もありません。
ですから先述の誤解を正すならば、
エゴが考えていることや感じていることは単に機能として正常に生成されたものだから放っておいていい
となるでしょう。
つまり、エゴが「自分」ではないというのは、エゴはあくまでもただの機能であり、自分の本体・実体・正体ではないという意味です。
参考記事:
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
ですからエゴとしての「私」がやるべきは、
感情や思考をどうにかすることではなく、
自分はすべてを可能にしている完全無欠の存在
だと知る、ということだけです。
それだけでエゴの「私の願望は叶っていない」「叶わない」「叶えられない」といった思い込み(嘘・捏造)は外れるので、見えてくるものが変わっていきます。
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