現実が自分の意識の投影であるならば、今見えている現実は自分で創ったものですし、それが気に入らなければ自分でいくらでも現実を変えられる、といえます。
この原理を「現実はスクリーンに映り出されたもので、自分自身(の肉体)が映写機」などといった感じに表現した記述を目にしたことがある人もいると思います。私がこんなふうにいうのも烏滸がましいですが、とても秀逸な喩えだと思います。
映し出されたものがたとえば映画だとすると、鑑賞者が「あのエンディングには納得いかない」とか「途中のあの演出は要らない」と、いくらごちゃごちゃ批評しても内容は変えられません。
映画鑑賞と違って、願望実現・現実創造においては自分自身が(映写機だけでなく)作り手になれるのですから、自分で自由に作り替えればいい、というのがその喩えの真意だと解釈しています。
さて当ブログに書いている願望実現方法は、「願望=現実」と直結させた方法で、自分の中ですでに叶ったことにすればそれが現実に投影されるというシンプルなものです。
映画に喩えればハッピーエンドを最初に制作して、そこまでの物語は自分のエゴ以外、いわば大きな意識に脚本・演出・キャスティングなどなど、細かい部分をすべて任せます。
しかし実際には、この仕組みを頭では理解できても、過去のバッドエンド作品 or 駄作(しかも自作)が映り出されたものを見ては、嘆いたり悲しんだり文句を言ったりしているだけ、というケースがほとんどでしょう。
たとえ「あのシーンは悲しかったけど、前向きなメッセージが込められているのかも」とか「あのシーンは怒りを覚えたけど、必要だった」とか「解釈によっては深い作品」などとポジティブな感想を持とうとしたところでバッドエンド or 駄作であることは変わりません。
自分が制作者になってハッピーエンド作品に作り替えれば、制作者兼鑑賞者の立場として途中の展開次第で悲しんだり怒ったりしても全然いいのですが(ハッピーエンドとわかっているから)、
自分がバッドエンド or 駄作の制作者でもあることに気づかず、鑑賞者の立場のみで映し出されたものを見ていても、同じものを延々繰り返し見続ける or 永遠に終わらない駄作を見続けることになります。
それを避けるには、自分が制作者でもある自覚を持って、大胆にハッピーエンドに作り替えることが大切です。