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現象化という言葉の弊害

 

かなり間があいてしまいました。更新を楽しみにしてくださっている方々には大変申し訳ございません。

 

というのも、すでに言葉を尽くしていることもあり、単純に書くことが見つからなかったからです。

 

そんな中、ふと現象化という言葉に注目してみました。

 

発信者によってこの言葉の定義や解釈は異なると思いますが、私の個人的な定義・解釈は、エゴが物理現象を判断材料として「ある」「叶った」と判断することです。

 

逆にいえば、「現象化していない」=「ない」「叶っていない」という判断になります。

 

そのため、いくら「今はまだ現象化していないけど、すでに叶っているのはわかっているから、いつか現象化するよね」とエゴが思っても、それは結局「ない」「叶っていない」と判断していることになります。

 

別の言い方をすると、エゴがエゴに「すでにあるんだよ、叶っているんだよ」と言い聞かせているだけで、実際には「ある」「叶った」と判断していません。

 

はっきり言ってしまうと、「いつか現象化する」は「叶っていない」と同意です。

 

「ある」「叶った」は物理現象から判断されるものではなく、単なる大前提です。

 

その大前提をすんなり受け入れられなければ、せめて「今は現象化していない(=叶っていない)けど……いつか現象化する(=叶う)よね」と、わざわざ実況しないでください。

 

(たとえ時間がかかってでも)大前提を受け入れれば、いわゆる現象化は気にならなくなります。

 

なぜなら、繰り返しますが、「ある」「叶った」は物理現象から判断されるものではないからです。

 

ことさらに強調しますが、

 

「ある」「叶った」は物理現象に関係なく大前提なのです。

 

エゴが「叶っていない」を受け入れれば「叶っていない」を見続け、「叶った」大前提を受け入れれば「叶った」を見るのです。