仮にあなたが今、「素晴らしい職場でやりがいのある仕事がしたい」と願っているとします。
なぜそのように願うのか。
- イマイチな職場で退屈な仕事をしているから
- 最悪な職場で最低な仕事をしているから
- 職場環境は悪くはないし仕事内容も悪くはないがなんとなく物足りないから
- 無職でやりがいのある仕事が全然見つからないから
などといった状況があるからだとしましょう。
理由は何でもいいですが、
まずは今自分でそれを叶えているのだということを受け入れてみてください。
つまり、
- イマイチな職場で退屈な仕事をしている私
- 最悪な職場で最低な仕事をしている私
- 職場環境は悪くはないし仕事内容も悪くはないがなんとなく物足りない私
- 無職でやりがいのある仕事が全然見つからない私
を選択・意図して、それが叶っているということです。
いやいや、そんなことは選択・意図していないし、そもそも望むはずがないと思うかもしれませんが、
「私」をそのように描写している時点で(怖いことに)それは選択・意図になっており、実際に叶っています。
そうやって「望まない私」を叶えていたのですから、当然「望む私」も叶えられます。
それには、現状に関係なく「望み通りの私」を描写すればいいのです。
その描写が選択・意図になり、その瞬間にたとえ現状が何も変わっていないように見えても、それは叶っています。
しかし、ほとんどの人が(大抵の場合)何も変わっていないように見える現状から判断して「望まない私」に戻ってしまいます。
そして「何をやっても叶わない」と嘆き苦しみます。
当ブログに何度も何度も繰り返し書いていますが、自分が望み通りか望み通りでないかは、現実(現状)で判断されるものではありません。
そもそも、「自分」の本体である大きな意識は「すべて」を所有し可能にしています。
- 素晴らしい職場でやりがいのある仕事をしている私
- 大好きな仕事で大成功を収めている私
- イマイチな職場で退屈な仕事をしている私
- 最悪な職場で最低な仕事をしている私
- 職場環境は悪くはないし仕事内容も悪くはないがなんとなく物足りない私
- 無職でやりがいのある仕事が全然見つからない私
- 何がやりたいのかわからない私
などなどなど、
同時に叶っている無限のパターンの中から、エゴとしての「私」がどれかを自覚or無自覚的に選択・意図し、時間の概念と物理法則がある物理世界上で現実として観測しているだけです。
今まではみずから無自覚的に「望まない私」を選択・意図して叶えていたことをいったん受け入れてみてください。
それから、
現状に関係なく、望ましい私を選択・意図してください。
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