願望が生まれたら、それがすでに実現したものとする、というのが願望実現の第一歩です。
つまり、「○○になりたい」という願望を抱いたらすでに「○○な私」になっていることにする、ということです。
「○○な私」になればそれが意識の真実となり、その真実に沿って現実が動いていきます。
ネヴィル・ゴダード氏の想定の法則では、すでにそうなっている気持ちになるためにイメージングを奨励しています。
当ブログは想定の法則をベースとしていますが、実体験からイメージングをやらなくても「○○な私」になりさえすればいいとブログ主は個人的に思っており、やるやらないは個人の自由だとつねづね書いております。
さて、たとえば、「好きなことだけをして生きていきたい」と願望を抱いたとします。そして「好きなことだけをして生きる私」になります。
その瞬間、「好きなことだけをして生きる私」が真実となり、見えている世界は「好きなことだけをして生きる私」のものになるのですが、実際にはやりたくないことをしなければならない状況であるとします。
やりたくないことをしなければならない現実は、過去の、「好きなことだけをして生きる私」になる以前の意識が現象化したものです。
どうしてもやらなければならないことだったら「やりたくないな〜、嫌だな〜」と思いつつも現実的に対処すればいいですし、やらなくてもいいことならやらなければいいです。
そうして現実的な対処をしながら「好きなことだけをして生きる私」であり続ければ、やがてやりたくないことをやらなくてもいい状況になり、好きなことだけができる状況へと現実が変わっていきます。
「好きなことだけをして生きる私」になってからの意識が現象化したのです。
それに対し、いつまで経ってもやりたくないことばかりやらなければならない現実が続くなら、それは過去の意識の現象化に過ぎない現実にフォーカスしているからです。
自分では「好きなことだけをして生きる私」になったつもりでも、実際には「好きなことだけをして生きたい」と、自分の願望を明確にしただけです。
そして、現実(過去の意識の現象化)だけを見て、「ちっとも現実が変わらない。好きなことだけをして生きる私はいつ現象化するの?」と焦ります。
つまりそれでは、好きなことだけをして生きたいのに、やりたくないことばかりやらなければならない私のままだということです。
「○○な私」を想定しているのに現象化しない、焦りばかりが募るという方は実に多いです。
そういった方々に申し上げたいのは、過去の意識が現象化した現実ではなく、先の例でいえば、
(やりたくないこともやっているけれど)好きなことをして生きる私
という意識の真実にフォーカスしていただけたら、と願います。