今回は、基本・初心に戻ります。
まずは初期の記事、
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
からの引用です。
私が「相手はすでにいる」という心境になったのは、いつ現れるかわからない相手をずっと待っていることにほとほとうんざりしたからです。
じれったい、待っていられない。
そんな心境の中、「すでにいる」とむりやり既成事実にしてしまったのです。
当時はネヴィル・ゴダード氏の想定の法則および氏の著書にある「あなたのほしいものはすでにある」「あなたはすでになりたいものになっている」という大前提を知らなかったので、あくまでも後付け的な分析ですが、これはつまり、
「すでにいる」とむりやり既成事実にしたのは、叶っている大前提に立ち戻った、ということです。
振り返ると、この判断は正しかったのでしょう。
エゴは物理現実として見聞きできるものや、自分の想像の範囲内のことしか感知・知覚できないので、願望が現象として知覚できない限りは「叶っていない」と判断します。
でも、それではエゴが苦しいだけです。そこで、「すでに叶っている」と認定することで「叶えるためにもう何もしなくていい」という安心感が生まれます。とにかく、
単にエゴが知覚していないだけですでに叶っているので、あとは自然の流れに任せるだけです。
現実は現実として受け入れ、やるべきことをやり、やりたいことをやり、やりたくなくてもやらなければならないことならやり、必要なければやりたくないことはやらない、何を感じても考えてもいい、そんな感じで生きていればいいのです。
そうしている中で、然るべきタイミングで然るべき過程を経て、エゴが現象化したと判断します。
そのタイミングや過程はエゴの想像・希望の範疇外かもしれませんが、エゴにとっては現象化が最終目標なのですから、そこは最終的に大きな問題にはならないでしょう。
むしろ、エゴにとっては良い驚きだったり、奇跡的に感じたり、それ以外であっても、後からポジティブに映ります。たとえエゴの第一印象としては単なる日常の一コマだったり、最悪な出来事だったり、覚えてすらない出来事だったりでも。
繰り返しますが、願望はすでに「叶っている」ので、あとはどうぞ自然の流れに身を任せてください。(エゴで)できるのはこれだけです。