前回の記事
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
に、以下のように書きました。
(「すでにある」の解釈は)発信者によって解釈は異なりますが、当ブログの解釈は
自分の本体である「大きな意識」はすでに望むもののすべてを持ち、すべてを叶えている
というものです。
「願望」としてエゴ上に浮かんでくるのは自分の本体がそれをすでに持っている・叶っているからです。
なので、それをエゴで想定・意図・選択(言葉は何でも良いです)すれば、エゴが物理現実上で知覚します。
つまり、「幸せになりたい」という願望が浮かんだら、それはもう叶っているので、「幸せな私」「私は幸せだ」などと想定・意図・選択すればいいということです。
しかし、エゴはそれでも「(どう見ても叶っていないから)叶えよう」と思い続けてしまいます。
前回の記事では、エゴがそうしてしまう理由の一つに時間の概念をあげました。
もう一つの理由としては、
エゴは「願望は努力して叶えるもの」「願望は簡単には叶わないもの」などと強く信じているからです。
まさか「願望はすでに叶っている」だなんて、簡単には信じられないからです。
「願望は努力して叶えるもの」「願望は簡単には叶わないもの」といった信念がそのまま現実として見えているので、願望が叶っているように見えるはずはありません。
だからいつまでも「叶えよう」としてしまうのです。
まとめますと、願望は叶っているのにエゴにそう見えないのは、エゴが己の信念によってエゴ自身を錯覚させているからだともいえるでしょう。
プラス、先述のようにエゴが時間の概念を採用していることも、エゴ自身を錯覚させています。
でもそれもエゴの長年の習慣ですから仕方がありません。
「願望はすでに叶っている」という大前提をすぐに認められなければ、まずはその大前提を「知っておく」だけでも見えるものが変わってきます。
先の例でいえば、「幸せな私」「私は幸せだ」となかなか断定できなければ、「どうやら私は幸せらしい」と知っているだけでも、幸せに感じる要素が見えてきます。
「叶っていない」→「叶っているかもしれない」→「叶っているらしい」→「叶っている」
といったように、エゴの強力な信念を少しずつ変えていくのもいいでしょう。
※コメント欄に関するお願い
弊ブログ開設以来、ご質問をいただいた場合、私見の範囲で必ず、真剣に回答しております。
時間をおいてでもいいので、わかった・わからない・どうして? 等、何らかの反応をいただけますと嬉しいです。
誠に勝手ではございますが、そのご意志がない場合はご質問をお控えくださいますようお願いいたします。
このように再三にわたりお願いしても反応をいただけないケースが度々ありますので、コメント欄の閉鎖を検討中です(代替案は考えています)。その際は事前にお知らせいたします。