今回は前回の記事、
allyourwishesarefulfilled.hatenablog.com
の補足的な内容です。
終盤に、このように書きました。
一方、3.「自動的に現実が動いていくのを楽しみにする」4.「イメージングやアファメーションをすして過ごす」は、あくまでもエゴ視点の思考・行動です。
でも、これがNGなのではありません。エゴがラクに感じ、「ある」「叶っている」を取り消さなければいいのですから。
とはいえこの3、4は、上述のようにエゴ視点の思考・行動で、意識に丸投げしきっていません。
なので、エゴの期待通りにならないと、やがて不安や焦燥感などのネガティブな感情が生まれ、「ない」「叶っていない」に戻ってしまう可能性もあります。
エゴが体験しない限りエゴは満たされず、「叶っている」とみなせないのですから、どうしてもこういうパターンになりやすいです。
なので、意識に丸投げするには、エゴの体験を最終目標にしないことがどうしても重要になってきます。
ここでいうエゴの体験とはいわゆる「現象化」です。つまり、現象化をエゴの目標にしない、期待しないことが鍵なのです。
ところで、
すでに「ある・叶っている」はけして概念的なことではなく、現象・実体として、です。
「◯◯な私」と想定・選択・意図したら、
意識には時間の概念がないので、すでに現象・実体としてあるのですが、エゴには時間の概念があるので、エゴが現象・実体として感知するまでにタイムラグが生じるというだけのことです。
とはいえ、「期待するな」と言われたら、エゴは納得しないし、反発するでしょう。
なので、期待してもいいのです。上記の通り、楽しみにする分ならNGではないです。
「ない・叶っていない」に戻らなければ、意識に対して強く出てもいいでしょう。「もったいぶらずにさっさと体験させろ」といったように。
エゴにコントロール権はなくても、エゴも意識(=自分)の一部ですし、上下関係みたいなものはないですから、強気でもいいのです。
ただ、良くも悪くもエゴの期待通りにならない可能性が大であることは留意しておく必要はあります。
(「必要」という言葉はできれば使いたくないのですが、便宜上使っています)
結局は、エゴ的には期待しすぎず、意識に丸投げするのがベストに尽きるのですが。